朝日印刷株式会社の目指すもの
昭和12年創業以来73年、印刷技術の革新とともに歩んできたノウハウの蓄積があります。「情熱をもって取り組む」という社員一人ひとりの姿勢が、製作の原動力であり、すべての印刷物に漲っております。
印刷物は、人と人とのコミュニケーションのための大切な情報媒体であり、後世に延々と残るものです。社員一同、常に美しいデザインへのこだわりを大切にしながら日々研鑽し、印刷物を作り出す責務を全うしたいと考えております。
「印刷を通して文化の継承と発展に係わることができる」ということは、印刷人としての喜びです。
ごあいさつ
一、お客様に感謝と奉仕の心を持ち誠心誠意仕事をします。
一、印刷技術の向上とさらなる発展を目指し日々努力をします。
一、印刷物を創り出す責務と守秘義務を全うします
朝礼で日々上記の社訓を唱え「印刷メディアの創造は文化の継承と発展に係わる仕事」と使命感にもえ、日進月歩の印刷技術革新に遅れまいと社員一丸となって奮闘しています。
「一人ひとりがのびのびと持てる力を最大限に発揮できるようにすること」を大切にし、印刷のプロとして日々研鑽し、お客様、ひいては社会に役立つ印刷物を造っていきたいと存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。
弊社は地元勝山市や地域の文化交流発展をめざした「郷土愛」が創業の原点でありました。創業した祖父、そして跡を継いだ父母も地元商工会議所やロータリークラブなどで活動しながら、郷土を大切にしてきました。
私の住む福井県勝山市は世界で9番目にクリーンなまちと評価されたこともあり、平成24年5月には第20回環境自治体会議かつやま会議が開催される予定です。会議のテーマは「恐竜時代から未来へつなぐ豊かな自然と環境」。市民でまちをきれいにしようと取り組んでいます。恐竜の化石が発見され、福井県立恐竜博物館があることで有名です。2009年には恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークに認定され勝山市全域がその地質遺産や自然、歴史環境を学べる自然公園としていろいろな取り組みがなされています。平泉寺白山神社、勝山城博物館、越前大仏、スキージャム勝山、はたや記念館ゆめおーれ勝山など、みどころいっぱいです。是非多くの方に来ていただければ幸いです。
代表取締役 辻 利津子
七十周年を期に創業者宇野博の志を思い起こしたく「勝山朝日新聞創刊号」の題言をご紹介させて頂きたいと存じます。
動いてやまぬ、天地自然と共に、人の世も亦刻々に移り變りて止まらず、永劫の波は過去より未來へ未來へと流れつづいて止まるところを知らない。動あれば隙あり、變あれば虚あり、この流動する人世自然の本體に向つて、いつの世いづれの時にか乗ずべき機會の絶無なるべきや。況んや天地正に粛殺、萬象果を結んで涅槃に入らんとするをや須らく先づ自ら進んで己が新天地を拓き、萬象と相和して其の果を得んことを期す。憶することを止めよ、迷うことを止めよ、悲しむことを止めよ、心頭を滅却すれば火もまた涼し、心、朗かなるものゝ天地は、輝く朝日と共に絶對に窮通自在である
会社沿革と概要
昭和6年12月、初代社長宇野博は大阪朝日新聞勝山支局員を経て、全国の勝山出身者に対し郷土勝山の情報を伝える「勝山朝日新聞」を創刊。これを受け当社は、「勝山朝日新聞」の印刷部門として誕生しました。「勝山朝日新聞」はその後「福井郷土通信」と改題しましたが、戦中戦後の一時期を除き、昭和50年代まで発刊が続きました。その総号数は1000号を超え、地方の郷土紙としては貴重な存在でありました。現在でも、その一部は福井県立図書館にマイクロフィルム化して保存され、貴重な研究資料となっています。新聞を印刷するかたわら種々の印刷物もてがけるようになり、活版印刷が主流の昭和30年代には文部省の福井県指定印刷所に選定されていました。
昭和47年、2代目社長に就任した宇野龍一は、いち早く活版印刷からオフセット印刷へと転換をはかり、朝日印刷株式会社と社名を変更。新社屋を建設して現在地に移転しました。
昭和63年故宇野龍一の後を継いだ妻の宇野幸子(3代目社長)は印刷業界のアナログからデジタル化への波に乗り、プリプレスの完全デジタル化をはかりました。
平成18年6月、辻利津子(宇野の長女で宇野博の孫にあたります)が4代目社長に就任し現在に至っております。
■創業/昭和6年12月 福井県勝山市本町3丁目にて個人創業
■設立/昭和12年7月22日 勝山朝日通信印刷株式会社
■社名変更/昭和53年12月29日 朝日印刷株式会社
■社屋移転/昭和62年3月29日 福井県勝山市本町より昭和町に新築移転
■資本金/1,000万円
■従業員数/18名





